湯島聖堂
湯島聖堂

大成殿前の中庭で太極拳の講習も

湯島聖堂地図

綱吉が湯島に移す

 東京・文京区湯島にある学問のメッカ、と言っても受験の神様・湯島天神ではない。JR御茶ノ水駅の東側、緑濃い木立の中にどっしりとした存在感を示す湯島聖堂(ゆしまのせいどう)のことである。なにしろ江戸時代は幕府直轄の教育機関であり、学問の始祖というべき孔子を祀(まつ)る廟(びょう)でもある。昌平坂学問所(通称・昌平黌(しょうへいこう))の名で天下にあまねく知られ、「史跡・湯島聖堂」となったいまも江戸の学舎(まなびや)の面影を失っていない。
 もともとは儒学者の林羅山が上野・忍ケ丘に開いた林家の私塾であったが、1690(元禄3)年、儒学好きの5代将軍綱吉が孔子廟とともに現在の地に移した。幕府直轄となったのはその8年後。旗本や御家人の子弟教育を目的とする一方、浪人を受け入れ、町人の聴講も許すという開かれた教育機関であった。
 創立後180年ほどで明治維新を迎える。学問所は廃され、1871(明治4)年に文部省が置かれることになった。さらに聖堂内にわが国初の博物館、図書館、師範学校、女子師範学校も開かれた。
 やがて聖堂を巣立っていったこれらの施設は、その後どのように成長したのだろうか。現在の名を並べてみよう。東京国立博物館、国立国会図書館、筑波大学、お茶の水女子大学である。近代日本の文化・教育はここに発した、と言っても過言ではないだろう。

学問所の伝統、今も

 現在の聖堂を維持・管理しているのは財団法人斯文会(しぶんかい)である。明治初期に岩倉具視らが作った斯文学会を母体とし、1918(大正7)年に財団法人となった。22(大正11)年に国の史跡に認定されたが、翌23年、関東大震災で建物の大半を焼失、江戸時代の建築物は入徳門と水屋のみになった。
 以来10年あまり、斯文会は会員の力を結集して募金を全国に展開、35(昭和10)年に念願の再建を果たした。建物はコンクリート造りながら往年の規模と形式を忠実に踏襲しており、中庭を中心として左右に東廟と西廟、奥に大成殿という配置は、文廟(ぶんびょう)(儒教建築)の典型的な遺構とされている。
 孔子を奉じ、儒学の振興を目指す斯文会の活動は、江戸時代の伝統を守りつつ今日まで連綿として続いている。
 敷地内の斯文会館で開かれている文化講座は中国古典学を中心に太極拳、書道なども加えた44講座。講師陣には斯文会理事長でもある石川忠久氏(元二松学舎大学長)、楠山春樹氏(早稲田大学名誉教授)、加藤道理氏(桜美林大学名誉教授)ら斯界(しかい)の泰斗(たいと)がずらりと顔を並べている。
 某日、石川先生の「唐詩鑑賞講座」を聴講した。教室に並ぶ60人あまりの受講生はほとんどが60代−70代とおぼしき人たちである。先生が壇上に立つと、教室は水を打ったように静まりかえった。現代の大学生などにぜひとも体験させたい雰囲気である。先生が漢詩を朗々と読み下し、「どうぞ」の声に受講生が一斉に唱和する。おそらく江戸時代の講義は、このように行われていたのだろう。学問所の灯は消えず、である。