江戸城跡
江戸城跡

修復を終えた皇居東御苑「中の門の石垣」

江戸城跡地図

環状一号線

 皇居1周の内堀通りはジョギングコースとして知られている。二重橋前から左回りにスタートすると、大手町で左へカーブし、竹橋、代官町を経てイギリス大使館前を左折、三宅坂を下って桜田門から二重橋前へ。この周回路の実名は「環状一号線」である。東京の環状道路は外側から「環八」「環七」「環六(山手通り)」などと呼ばれるが、その中心の「環一」が皇居1周コースなのだ。
 文字通り東京のど真ん中の周約6キロ。左側に延々と続く石垣は、すべて国の特別史跡(江戸城跡)である。単なる史跡ではない。きわめて重要とされる「特別」つきだ。江戸城は日本最大の城であり、内堀も日本一のスケールを持つ。そんな貴重な史跡が都会の風景にとけ込んでいる。出勤、退社、昼食、散歩、ジョギング。朝な夕な「環一」を利用する多くの人々は、石垣をごく身近な存在と感じているはずだ。
 とはいえ石垣はおおむね、お堀越しに眺めることになる。「特別史跡なら、もっと近くで見たい」という人がいるかもしれない。可能だろうか? もちろん可能である。週のうちの5日、皇居の東部分をなす東御苑が一般に公開されている。大手門など3つの門から入り、入場票をもらえば、それでOKである。
 最も入場者の多い大手門から入ってみよう。受付を過ぎると右に江戸城の検問所だった同心番所がある。そこから左曲がりの上り坂を行くと、伊賀組、甲賀組、根来組などが昼夜を分かたずに見張りをしていたという百人番所の前に出る。その建物の真向かいにあるのが中の門の石垣だ。江戸城と呼ばれていたころ、大名や特に許された者だけが、大手門からこの門を通って本丸御殿に向かったという。

中の門の修復成る

 中の門の石垣は長らく修復工事中であった。何百年もの間、大地震に繰り返し遭ううちにひずみが大きくなり、組み直しが必要になったのである。
 調査の段階を含めてざっと5年、工事はこのほど完了した。新しく組み直した石垣は4月1日から一般に公開され、取り換えのために抜き出された石が2つ、傍らに展示されている。
 石垣は左右とも高さ5メートル、幅が25メートルほど。最も大きな石は横幅が5メートル、高さと奥行きともに2メートルという堂々たるものだ。この石垣を調査した専門家によると造営は1637(寛永14)年、石の多くは真鶴岬(神奈川県)や伊東、稲取など伊豆半島(静岡県)産で、中には瀬戸内海沿岸から運ばれてきたものもあるという。
 皇居・旧江戸城の史跡とされるものは石垣が中心である。日本一の大天守閣も明暦の大火(1657年)で焼失し、いまは東御苑の中に石垣に囲まれた土台が残るの み。
 しかし石垣こそ城の歴史を最も長く伝えるものだろう。太平の時代、幕末の混乱期、関東大震災、そして第二次世界大戦――。江戸城の石垣は激動の時代、平和な時代を見続けて、いまなお人々に親しい存在である。