今、若者たちへ-君に伝えたい私の経験-
今、若者たちへ−君に伝えたい私の経験−<広告企画>

君に伝えたい私の経験 

第47回 森郁夫・富士重工業社長

  • 更新日:2008-03-21

仕事は楽しく、厳しくやろう
脳ミソに汗をかくまで考えろ


 森郁夫氏
もり・いくお 1970年早稲田大学理工学部卒、富士重工業入社。97年海外営業本部海外生産推進部長、99年同海外企画部長、2001年スバル営業本部営業企画部長、0 2年執行役員、04年同スバル部品用品本部長、05年常務、06年から現職

 伝統的に技術志向が強いといわれる富士重工業にあって、営業出身でトップに就いた森郁夫社長。しかし、振り出しは技術系。長年、生産管理一筋に歩み、期待されながら、進んで営業に“転身”し た経歴を持つ。そんなネアカ・前向きを信条とする森社長に、自身の経験を振り返りながら若者へのメッセージを語ってもらった。

■新しいことに興味 自分で手を挙げ異動
 入社して最初の配属は、自動車部門の主力工場である群馬製作所の工務部計数課でした。コンピューターを操作して在庫計算をしたり部品の発注や生産の計画を立てる仕事です。飛 行機部門でものづくり現場に近いところで仕事をしたくて入社したので、希望が2つとも裏切られたスタートでした(笑い)。

 そこで6年が過ぎるころ、工場の管制室のシステムを変更するプロジェクトが持ち上がり、自分から手を挙げて異動しました。プ ロセスコンピューターを使って工場のベルトコンベヤーのコントロールや作業指示を行う仕事で、ものづくり現場にぐっと近づきました。何か新しいことをやりたい気持ちがありましたし、よ うやく念願の1つがかないました。

 後年、米国インディアナ州に現地生産工場を立ち上げて帰国する際は「営業をやらせてほしい」と希望しました。入社して約20年、工場の生産管理一筋できて、営業の経験は一切ありません。群 馬製作所ではポストも空けてくれていました。上司から「お前、何考えてるんだ」と言われながらも、海外営業に回してもらえました。
SUBARU_Subph
1989年、米 国現地工場立ち上げ当時
(本人、右から2人目)


 よく聞き入れてもらえたなと思いますが、それをやらせてくれるのがこの会社です。2年前、社長になり、中堅社員とベクトルを合わせるために対話集会を開いています。「 こんなに意見が通る会社はないだろう」と話すと、「そうでもない」という返事が返ってくることもあります。そういった社員には「納得するまで死ぬほど考えて仕事をしているのか。そ の上で自分のやりたいことを主張しているのか」と仕事への姿勢を問うています。

 会社ではいつも「仕事は楽しく厳しくやろう」と言っています。仕事は厳しくなければなりませんが、嫌々やるのは論外。楽しく仕事をするためには主体性を持って仕事をすることです。自 分で考えて仕事をするのとやらされるのでは、面白さが100倍違うでしょう。面白さが100倍違えば、結果も100倍違ってくるはずです。

 若い人たちにはもっと世界を広げ、発想も広く持ってもらいたいと思います。そのために新しいことにどんどんチャレンジしてほしい。失敗を恐れずに常に自分のやりたいことを持ち、何 をすべきか考えて欲しいと思っています。

■米国での工場立ち上げ  “常識”の違いに困惑
 そういう意味では、米国現地工場の立ち上げは一番印象に残っています。日本から5人で乗り込んだ時、建設予定地はまだトウモロコシ畑でした。そこから工場建設を始め、現地マネジャーの面接・採用、従 業員のユニホーム決めなど、ありとあらゆることを白紙の状態からやりました。

 当時お世話になった米国人とは今もお付き合いが続いています。当初、彼らの“常識”とのギャップには随分戸惑いました。現地の考え方に合わせながら日本の良さを生かすことを心掛けました。得 難い経験をし、非常に面白い仕事をさせてもらったと思っています。

 当社は今月、初めての量産車である「スバル360」の発売から50年を迎えました。この間、当社が培ってきたものは革新性や独自性と呼べるものです。そして、こ れから残していかなければならないものは何かといえば、やはり革新性や独自性です。そういう「スバルらしさ」を社員一人ひとりが考え、追求していってほしいと思っています。

 そのためには「脳ミソに汗をかく」まで考えることが大切です。みんな「(仕事が)大変だ、大変だ」と言いますが、本当に死ぬほど考えているかといえば、まだ甘いと言わざるを得ません。い くら忙しくても、仕事をやりながら考えるのが仕事なんです。