巨大工場の遺産
現存する東田第一高炉は1962(昭和37)年、日本初の超高圧炉に改修された。その後、老巧化し解体されるところを北九州市が文化財として保存を決め、公開されている。高炉の名にふさわしく見上げるような巨体である。
製鉄業は巨大なエネルギー多消費型産業だ。銑鉄1トンを作り出すのに、鉄鉱石1.6トン、石炭を4トンも使うと言われる。
さらに圧延時の冷却や酸化鉄の洗浄などで鉄鋼1トン当たり200トンの水が必要。9割以上を循環させて使用するが、調達すべき水量は莫大だ。
創業時の八幡製鉄所でも水の確保が大きな課題だった。操業が軌道に乗り、1917(大正6)年から始まった第3次拡張計画の一環で、増加する一方の工業用水をまかなおうと、本格的な貯水池建設が計画された。
製鉄所から南へ6キロほどの山あい、板櫃(いたびつ)川の上流をせき止めて作った河内貯水池だ。工事は当時土木課長だった沼田尚徳が指揮を取り、完成までに8年の歳月がかかった。
沼田は堅牢性とともに美観を重視し、管理事務所や取水塔はヨーロッパの古城風にデザインした。通称「めがね橋」と呼ばれる南河内橋もその一例で、鉄製の66メートルの変形した楕円形を2つつなぎ合わせたユニークなデザイン。資材はもちろん八幡製鉄所でできた鋼鉄だった。
貯水池周辺は近在の住民の散歩コースとなっており、週末ともなると釣り糸を垂れる人も多い。
鉄鋼業の現場で働く人にとって、重量物を扱い、激しい暑さの中での作業など労働環境は厳しいうえ、新しい知識も求められた。そんな人材を確保するため、創業して間もない1910年に「幼年職工養成所」を設けた。
高等小学校卒業者を対象に、給与を支給しながら、勉強し、実務を教える3年制の養成施設だ。前半は一般教養、後半は製銑など3分科の専門技術、工場実習といったカリキュラム。初年度は66人が入所した。卒業生は6年間、製鉄所が指定した業務に携わることが義務付けられていた。
人手確保のためにも、福利厚生には早くから手を付けている。官営の製鉄所は、上級職員用に「高見倶楽部」、一般職員用に「門田会館」というように、官僚組織等級別にならった施設を整えていた。
そして職工専用のクラブとして、1927年にできたのが、工場から2キロほどの高台にある大谷会館だ。鉄筋コンクリート作り、地上2階、地下1階、総面積3800平方メートルの規模。外壁は自社製の鉱滓レンガをあしらい、流行の最先端をいく左右対称の設計だ。
中には娯楽室、理髪室、パーマ室、浴場、食堂、売店などがそろい、職工たちは恵まれた施設内で飲食や娯楽で余暇を過ごした。
戦後、身分制の廃止とともに大谷会館も他の施設と同様に全従業員に解放され、さらに一般市民も利用できるようになった。
1985年からは運営を地元の不動産・会館運営会社に委託、宴会や結婚式会場として活用されている。受託会社「芳賀」の芳賀久典社長は大学を卒業後5年間、八幡製鉄、新日本製鉄に勤務した経験があり、さらに曾祖父は100年以上も前、八幡村の村長で、製鉄所の誘致に奔走した人物。見えざる糸で結ばれているような関係だ。
かつての近代製鉄発祥の地は、重厚長大な鉄鋼産業とは違った街に変容しつつある。その中心は、宇宙テーマパークの「スペースワールド」だ。米国の財団との間でライセンス契約を結んで開業したもので、地元だけでなく本州方面や韓国などからも訪れる人が多い。
スペースワールドに隣接して、巨大なショッピングセンターも開業している。かつては重厚長大産業の象徴でもあったこの一帯は「いのちのたび博物館」といった文化施設とともに、情報、娯楽、文化ゾーンに衣替えしようとしている。
文・今井 亮平
高炉の威容
河内貯水池にかかるめがね橋
モダンな建物だった大谷会館
製鉄所の跡はテーマパークに変身





