明治・大正・昭和の足跡を訪ねて

クラシカルなオフィスビルという趣の外観だが……(写真・長田 浩)

所在地:大阪市中央区備後町 完成:1931(昭和6)年

ひと息

綿業会館地図

 綿業会館の設計者は渡辺節、図面責任者は村野藤吾。村野は後に独立し、ここから徒歩数分の所に建つ輸出繊維会館の設計も手掛けた(竣工は1960年)。綿業会館は月1回、第4土曜日に予約制で公開している以外、一般の人々の見学は受け入れていない(希望者は日本綿業倶楽部へ。受け付けは6カ月前から、有料)。
 建築ウオッチングなら、御堂筋を北へ上がって中之島へ。緑青の色が美しい円屋根の日本銀行大阪支店旧館、赤煉瓦(れんが)の大阪市中央公会堂がおすすめ。船場とならぶ商人の町、道修町には江戸時代の製薬の道具や文献を陳列した「くすりの道修町資料館」がある。

紡績業の黄金期映す 船場の会員制倶楽部 外は質実、内は華麗

日本の繊維産業のメッカ、大阪・船場。ここに、綿製品で世界を席巻した当時の栄華をとどめる綿業会館がある。

1928(昭和3)年、東洋紡績の専務だった岡常夫氏の「綿業発展のために100万円を寄付する」という遺言を受けて日本綿業倶楽部が創設され、関係業界が50万円を拠出、クラブハウスとして1931年に竣工(しゅんこう)した。

大方の人は、綿業会館の前を通りかかっても、クラシックな感じの外観に目をとめるぐらいだろう。

実は、その内側に目を見張るような豪華な内装に飾られた空間がある。玄関ホールはイタリアンルネサンス式、3階の談話室はイギリスルネサンス初期のジャコビアンスタイル、通称「鏡の間」の会議室はフランスのアンピールスタイルというような多彩さだ。

しかも、部屋ごとに意匠は凝りに凝っている。談話室の壁面をおおうタイルタペストリーは、京都の泉涌寺の窯場で約1000枚を焼き上げたものだ。鏡の間の床材はアンモナイトが浮き出た大理石、ドアの周りに配された材料は木目調の大理石という具合なのである。造作ばかりではなく、設備面では全館冷暖房が可能と時代を先取りしてもいた。

社会貢献でも先駆

明治の後半から昭和の初期まで、大阪は「東洋のマンチェスター」といわれた。蒸気機関の発明をテコとする産業革命で発展した英国最大の工業都市になぞらえてのことだ。江戸時代の商都は殖産興業の波に乗り、繊維をはじめ塗料、製薬、造船などの近代産業を集積した。その変貌、躍進ぶりは「水の都が煙の都に」とも表現された

それらの中、とりわけ目覚ましい発展を見せたのが繊維産業だった。1882(明治15)年、渋沢栄一らが設立した大阪紡績(現在の東洋紡績)は、手紡ぎの時代は1人で1本の糸を紡いでいたのを、同時に40本の糸を紡ぐ機械を2人で受け持つ体制を確立、生産性を驚異的なまでに飛躍させた。その成功を見て、鐘淵紡績など次々と紡績会社が生まれた。

低廉な女子労働力と長時間労働を武器に、紡績業界は急速に国際競争力を強化し、綿糸でいえば1890年には生産が輸入を上回り、その7年後には輸出が輸入を上回るようになった。

さらに、第1次世界大戦後の不況を企業統合などで乗り越え、1933(昭和8)年には綿布の輸出でも英国を凌駕(りょうが)し、日本が世界一の座を占めた。

綿業会館の竣工は、日本が綿布輸出で世界一になる寸前のことだった。このころは紡績業界の黄金時代ともいえ、資産家が続出した。湖東紡績(後に日清紡績に統合)の設立者の1人、田附政次郎が1925(大正14)年、京都大学医学部に大阪の北野病院の建設資金を寄付したこともそれを物語る。

大空襲にも無傷

1945(昭和20)年、大阪は大空襲に見舞われた。だが、綿業会館は、窓ガラスが1枚割れ、カーテンを少し焼いただけでほとんど損傷がなかった。大きな被害を免れたのは、外壁が熱に強いタイルで、窓にフランス製のワイヤガラスを使用していたからだった。ただ、戦時体制による金属物質の供出によって、3階のベランダにあった手すりなどが消えた。

第2次世界大戦で大きな打撃を受けたものの、繊維産業は基幹産業振興政策の対象となっていちはやく復興、51年には綿織物の輸出で世界一となった。そして60年代には合成繊維の生産を本格化させた。だが、71年に日米繊維交渉によって輸出規制が実施され、石油ショックによる原料高騰もあって構造転換を迫られ、逆浸透膜や炭素繊維などの開発に挑戦、世界に先駆けることになる。扱う製品や技術は変わったが、ものづくり産業のリーダーが集まる場として同会館は今も活躍している。

文・須藤 公明

竣工直後の綿業会館

日本綿業倶楽部提供

■竣工直後の綿業会館

 綿業会館の竣工は1931(昭和6)年の大晦日(おおみそか)、開業は32年の元日。その年の3月10日に国際連盟満州事変調査団のリットン卿(きょう)一行が来館、大阪の経済界代表と会談するなど国際会議の場にもなった。


日本経済新聞 夕刊 2008年10月23日(木) 掲載

探訪余話

東洋のマンチェスターよ、甦れ

雨の大阪で考えた。綿業会館の取材を終え、歩きながらのことである。ひとつは、ヨーロッパ各国のルネサンスの建築様式を結集し、粋を凝らした建物と、それを可能にした日本の技能についてである。もうひとつは、この建物を建設するきっかけとなった寄付という行為、そして企業家精神と社会的遺産についてである。もとより、いずれも簡単に結論が出る話ではない。ただ、そういうところに思いを致す気持ちにさせるところに、遺産ならではの価値があるのだろう。

綿業会館は、内部が本当に素晴らしい。それを十分に紹介できなかったのは心残りだが、関心のある方はホームページなどを覗いてほしい。取材して感心したのは、イタリアから輸入した大理石などもさることながら、「好みに応じて楽しんでほしい」という考え方から様々な部屋を用意した設計家の心配りと、それを具現化した意匠と技能だった。

例えば、会議室のドアである。四角と丸を巧みに配置し、つまり直線と曲線を見事なまでに調和させ、金属と木材という素材を活かしたその美しさに、しばし見入ってしまった。

美が宿っているものには、談話室のタイルタペストリーもある。約1000枚のタイルからなるそれは、綺麗に貼り付けるだけでも大変な労力、時間がかかっただろう。だが、そこに行き着く前にも大変な仕事があったはずだ。タイルの製作である。京都の窯で焼かれたものだが、納得のいく色を出し、また歪みのないものを揃えるには、一体、何枚を焼き上げたのだろうか。陶芸家の作品のように100個に1つか2つとは言わないまでも、大変な数を焼いたに違いないと思われる。

そして、話は飛ぶが、企業家精神などである。綿業会館は、東洋紡績の専務だった岡常夫が「業界の発展のために」と寄付した100万円に、業界関係からの50万円が付け加わって建設された。ちなみに、同じ年に現在の大阪城が再建され、その天守閣にかかった費用は47万円だったという。そこで質問。当時の150万円は、現在だと幾らぐらいになると思われるだろうか。何を基準に取るかによって額は異なるが、初任給を基準にすれば75億円ほどになる計算だという。

現在も篤志家の企業人が姿を消したわけではない。少し前にはメセナが注目され、最近ではCSR(企業の社会的責任)が話題になっている。しかし、昭和初期からの経済発展を考え合わせると、綿業会館のような形で残されたものはあまりにも少ないように思える。それには、戦後の税制も関係しているのだろうが、それ以上に日本人の心が痩せたのではないかという想いが心をかすめた。

そういえば、大原美術館も同時期の企業家がのこした遺産だ。産業近代化の過程で、社会的な事業にも力を尽くした経営者の名前が頭に浮かんだ。

そんな想いに駆られながら歩を進めていると、寄付をもとに建設されたもうひとつの建物に出合った。大阪市中央公会堂である。これは、1911(明治44)年、「北浜の風雲児」と呼ばれた株式仲買人、岩本栄之助が100万円を寄付したのが事の起こりだった。

この中央公会堂を真ん中に、一方には日本銀行の大阪支店がある。緑青の色が美しい円屋根の建物で、辰野金吾の設計になる。そしてもう一方には、東洋陶磁美術館がある。こちらは安宅コレクションを中心に、中国や朝鮮などの陶磁器が目を楽しませ、心を和ませてくれる。歴史の探訪をというのであれば、蘭学者で医師の緒方洪庵が福沢諭吉らを育成した適塾も目と鼻の先だ。そこから、くすりの道修町資料館までは徒歩で数分、そのかたわらにくすりの神様をまつる少彦名(すくなひこな)神社があり、入り口には谷崎潤一郎作の『春琴抄』ゆかりの碑が建っている。

近代遺産を訪ね歩く旅は楽しい。だがしかし、それぞれの土地は元気であってほしい――夕暮れの大阪の町を歩きながら、そんな気持ちになった。大阪にはインスタントラーメンを生み、また液晶テレビなどで躍進を続けている会社がある。なのに、なぜと…。

ちなみに紡績工場の発祥地、マンチェスターは今、ノーベル賞の受賞者を輩出した大学があり、世界的なサッカーチームがある。しかし、四半世紀前には疲弊した姿を晒していたのだとか。そこで、言いたい。「東洋のマンチェスターよ、お前も甦れ」と。

話は、綿業会館ならぬ日本綿業倶楽部に戻る。現在の会員は、法人、個人を合わせて600人ぐらい。個人の場合、入会金が12万円、月会費が5000円である。それで、政治や経済、文化やスポーツなど様々なテーマの講演会(年22回)に参加でき、2カ所のレストランなども使えるとなれば安いものだと思うが、どうだろうか。会員になるには現会員の紹介が必要で、理事会の審査が前提となる。紳士の集う名門倶楽部のこと、資格審査はきっと厳しいことだろう。

文・須藤 公明

綿業会館の正面玄関

大阪市公会堂

適塾と緒方洪庵の坐像

少彦名神社