明治・大正・昭和の足跡を訪ねて

夕暮れにライトアップで浮かび上がる日銀旧小樽支店。現在は「金融資料館」になっている(写真・三島 叡)

所在地:北海道小樽市 完成:1912(明治45)年

ひと息

小樽は「寿司(すし)の町」でもある。市内に約150軒、日銀通り1本南側「寿司屋通り」の周辺だけでも30―40軒はあり、グルメの人気を集めている。どの店も江戸前風の握り寿司で、ネタは地物のイカ、イクラ、ウニ、アナゴ、ニシンなど。店の人によると「地元のマグロは高過ぎますね。タイは捕れません」とのこと。鮮度の良さが売り物で、値段は1人前3000円前後。土地の人は「私たちが行くのはもっと安い回転寿司です。ネタは普通の寿司屋とあまり変わらないでしょう」と言う。通りから見える回転寿司屋は数店だが、ビルの中などに「隠れ回転」が増えてきたそうである。

1880(明治13)年、札幌―小樽間に鉄道が開通した。新橋―横浜間、神戸―大阪間に次ぐ日本3番目の鉄道敷設である。義経号、弁慶号など米国製の蒸気機関車が走り出し、石狩地方の石炭が札幌経由で小樽港から各地へ続々と積み出されていく。

北海道経済を担う産物がニシンから石炭へと動き、小樽は物流の拠点となった。企業や銀行の支社・支店が続々と店開きし、93年には日本銀行が小樽出張所を開設。街の中心部は「北のウォール街」と呼ばれるようになった。

辰野金吾が設計

活況が続く中、日銀小樽出張所は1906年、支店に昇格する。このとき日銀の北海道支店は函館出張所に降格、札幌出張所は廃止となった。小樽が函館と札幌を抜き、北海道の経済都市ナンバーワンに躍り出た瞬間と言えるだろう。

小樽に北海道を代表する日銀支店を――。設計を任されたのは建築界の第一人者・辰野金吾であった。東大工学部の前身・工部大学校造家学科(建築学科)第1期卒業生4人のうちの1人で、日銀本店も設計している。彼の手がける東京駅が建設中であり、小樽支店の建設はそれと並行して行われた。建設費は36万8000円。日銀では本店(東京)、大阪支店に次ぐ3番目の額であった。

辰野は日銀本店を造る前、モデル探しに欧州を回っている。その際、最も気に入ったのがベルギー・ブリュッセルの中央銀行であった。この建物は外国軍の攻撃を想定したという堅牢(けんろう)な“要塞(ようさい)風”で、その流儀を日本へ持ち込んだ設計者は「辰野堅固」の異名を持つことになる。堅固の本質は当然、小樽支店へと受け継がれた。

日本の建築界に米国の新技術が流入し始めたころである。英国流の辰野は守旧派の旗頭と見られていたが、新時代を見通す眼力があったのだろう。小樽支店はレンガ造りを基本にしながら、屋根材に鉄骨を用い、床にはコンクリートを敷いた。外面はモルタルを塗り、石造り風に仕上げている。

建築面積1千平方メートル余。2階建て、ルネサンス様式の建物は96年の歳月を経て、いまなお北の開拓者魂を象徴するような重厚さをまとっている。

人気の明治建築

「坂の町」小樽の、海に向かうメーンロードの1つが「日銀通り」。その下り坂の右手に立つ日銀小樽支店は2002年秋、札幌支店に吸収され、建物は「金融資料館」と名を変えた。小樽関係に限定しない展示で、中央銀行の役割や金融の仕組みなどを説明し、往時のカウンターも残している。

小樽市の経済的な退潮は第2次大戦後、苫小牧港の整備によって始まったという。日本海に面した小樽港と太平洋側の苫小牧港。東京など大都市への航路を考えれば、結果は歴然である。石炭産業の衰退がこれに拍車をかけた。小樽は札幌の衛星都市化し、都市銀行や企業の支店は「札幌だけで間に合う」状態になった。

盛況の時が過ぎ去った後も、小樽の町並みはほとんど昔のままだという。市の関係者は「新しいビルに建て直しても、使い道がないから」と苦笑する。日銀通りから運河沿いに並ぶビルや倉庫群は、小樽市指定の「歴史的建造物」ばかりと言っていい。

工部大学校時代の辰野の同期生、佐立(さたち)七次郎と曽禰(そね)達蔵の設計による建物も「旧」の字を冠して小樽に残されている。佐立の旧日本郵船小樽支店は日露戦争後の国境画定会議に使われ、国の重要文化財になった。曽禰の旧三井銀行小樽支店は、左右対称の堂々たる建物で花崗岩(かこうがん)の外壁は人を圧するような雰囲気を持つ。

いま人口14万人弱の小樽市を支えるのは、年間700万人の観光客だという。明治・大正の面影を色濃く残す建物群や運河が、人々を引き寄せているのである。

文・今泉 恂之介

小樽市総合博物館提供

■大正の色内町

大正時代のビジネス街。運河方面からJR小樽駅方向を望む。左手の色内大通りは「北のウォール街」と呼ばれた最盛期には19もの主要銀行支店が軒を連ねた。塔のある建物は「小樽銅鉄船具」社屋。昭和60年代に取り壊された。


日本経済新聞 夕刊 2008年5月8日(木) 掲載

探訪余話

建築界のサムライ、ここに集う

小樽市には市の指定する「歴史的建造物」が70も立ち並んでいる。建物の入口や角に「指定」を示すプレートが張ってあり、解説の看板を立てている建物も少なくない。ほとんどが市の中心部に集まっており、周囲を見渡せば、あちらにもこちらにも、という状態である。気の向くまま、気に入った建物を眺め、解説板を読んで歩くだけでも、歴史的建造物の通になったような気がしてくる。

これら歴史的建造物の中で特に興味深いのが、日銀旧小樽支店「金融資料館」(辰野金吾設計)、旧三井銀行(曾禰達蔵設計)、旧日本郵船(佐立七次郎設計)だろう。設計者は、東京大学工学部の前身である工部大学校第1期卒業生の4人のうちの3人。それぞれの建物から近代建築草創期の理論や技術、さらに建築に携わった人々の覇気や熱意までも感ずることができるはずだ。

工部大学校は1877(明治10)年に日本で作られた初の工学系の学問所である。明治維新後の「近代化」に対応するための国策的教育機関とも言えるだろう。学生は旧藩からの推薦者・選抜者であった。造家学科の4人もみな武家の出で、入学当時は16歳から20歳。英国から招聘されたコンドル(Josiah Conder)教授の「英語だけしか使わない」という講義を受けて育ち、日本近代建築の基礎を築いていった。

日銀旧小樽支店「金融資料館」では、日銀通りに面した正面に説明板を立てている。「設計者は日本銀行本店や赤煉瓦の東京駅を設計した辰野金吾。(略)ドームの曲線と重厚な外観が調和し、ひときわ荘重な姿を誇っており、小樽を代表する建物である」。説明文は日本語、英語、ロシア語で書かれている。

日銀旧小樽支店・金融資料館から日銀通りを100メートルほど下ったところが、かつて「北のウォール街」と呼ばれた金融街の交差点だ。この周辺には第一銀行、三菱銀行、北海道拓殖銀行(いずれも旧小樽支店)などが集まり、荘重な建物そのままに、ホテル、衣料工場、みやげ物店などに変わっている。

交差点から北方向に進むと、すぐ右手にあるのが旧三井銀行だ。さくら銀行と住友銀行の合併に伴い、2002(平成14)年に営業を終え、いまは空きビルになっているという。小樽で初めての鉄筋コンクリート造の建物はさすがにがっしりしており、重厚な姿で人を圧倒する。説明板には建物の設計者として「曾禰達蔵」の名が記されている。

曾禰は辰野金吾ともに唐津藩の武家の出であった。藩における生家の格は辰野家より上で、曾禰は人格者でもあることから終生、辰野の尊敬と信任を受けていたという。その2人が小樽の地で、距離にして200メートル足らずのところに、それぞれ立派なビルを建てているのだ。

佐立七次郎は讃岐藩の出。運河の北端近くに「小樽で最も重要」と言われる建物・旧日本郵船支店(国の重要文化財)を建てた。竣工の1906年は、日銀支店より6年早い。明治の雰囲気を漂わせる端正な2階建てで、豪華にして落ち着いた雰囲気を持つ2階フロアが高く評価されている。

1階の営業室は明治時代のオフィスそのままと言えるだろう。照明には往時と同じ先端が尖った「エジソン球」を用いている。2階の貴賓室、会議室はデラックスな造りで、江戸時代に開発された高価な「金唐革紙」(きんからかわかみ)が壁の全面に張られている。日露戦争後の樺太国境画定会議に使われた。交渉相手のロシア人を建物の素晴らしさで圧倒しよう、という意図があった、と言われている。

佐立は工部大学校同期のうちの最年少であった。刻苦勉励型の辰野や曽弥とは対照的に、成績には無頓着だったという。病弱だった、振舞はいつも飄々としていた、借金をしたとき辰野と曽禰達蔵に保証人になってもらった、というような話も伝わっている。その佐立が辰野、曾禰に先んじて、小樽に堂々たるビルを作っているのが面白い。

第1期卒業生4人のうちの1人、片山東熊は長州藩の武士で、戊辰戦争で東北各地を転戦し、功績を挙げていた。片山のかかわった建物は小樽にないのだろうか。

地元の歴史研究家によると、市の南西部、山手地区にある小樽市公会堂(旧・小樽区公会堂)は、片山が「間接的に指導した」建物だという。1911(明治44)年、皇太子時代の大正天皇が小樽へ行幸した際の宿泊所として建設されたもの。地元の富豪が建設費を負担しており、後に小樽市に寄贈された。瓦葺、木造平屋建ての「入母屋千鳥破風造り」だという。玄関の上部には菊の紋章が刻まれている。

小樽市の関係者に聞いたところ、工事を請け負った人は分かっているが、設計者は不明とのことである。しかし片山は東宮御所の造営技官になり、後に宮中顧問官になるなど、皇室とのかかわりが深い。皇太子の宿泊所建設に関して、地元の建設業者にアドバイスした可能性はかなり高い。工部大学校造家科1期生4人のかかわった建築物が、すべて小樽に残されている、と言えるのかもしれない。

文・今泉 恂之介

内装も重厚な日銀支店のカウンター

旧三井銀行支店

旧三菱銀行支店

旧日本郵船支店の会議室

小樽市公会堂の玄関