第3回(2007年8月2日開催

3つのエンジンに支えられている日本経済
持続的な成長には供給サイドのテコ入れが必要

円安が輸出拡大の追い風に
伊藤元重氏

 今日は日本経済を展望するための基本的な視点として、まず現在の景気が何によって支えられているか、そしてこれを持続的な成長経路に乗せるには何が必要か、この2点についてお話ししたいと思います。
 現在の日本経済は、円安、財政出動、超低金利という3つのエンジンによって支えられています。現在の円の実質実効為替レートは、プラザ合意があった1985年の初頭、つまり1ドル=240円くらいだったころとほぼ同じです(右下図参照)。なぜ実効レートがこんなに低いかというと、2000年ごろから米ドルのみならず、ポンド、ユーロ、人民元や豪ドルなどさまざまな通貨に対して円安状態が続いてきたから。ドルもユーロに対して安いけれど、円はさらに安い。これが1つのエンジンとなって、日本は輸出を大きく伸ばしてきました。
 輸出拡大の背景には世界的な好景気もあります。主要国の実質国内総生産(GDP)成長率は01年に底を打ち、03年ごろから急回復。04-06年の3年間は過去30年で最も高い水準でした。しかし、こうした状態が未来永劫(えいごう)続くわけではありません。「そろそろ円高」「まだまだ円安」などさまざまな予想が出ていますが、為替の動きを予想することは不可能です。

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必要なのは予想ではなく、シミュレーション。急速に円高になったとき、あるいは円安が進んだときの対応をしっかり考えておくことが重要です。
 今後、為替が大きく変動するとしたら、その震源地は2つ。1つは米国、もう1つは中国です。米経済の減速、サブプライムローン問題の悪化による市場の混乱から為替相場が動く可能性は大いにあります。
 中国で気になるのは外貨準備高の急伸です。中国政府は為替レートを維持するため市中の外貨を懸命に買い支え、準備高はここ5年で約5倍に膨らみました。ほぼ同額の人民元が中国国内に放出され、株式市場や不動産市場でバブルが起きている。1980年代後半の日本と同じで、これは非常に危険な状態です。米中貿易摩擦の展開によっては為替が大きく動くことも考えられます。
 円安に頼れないとしたら、第2のエンジンである財政出動はどうか――。去年は景気がよかったので少し改善されましたが、それでも毎年30兆円近い財政赤字を出しています。これは日本のGDPの約6%に相当する額。GDPが1%上がった下がったと一喜一憂している時に6%の赤字を作っていてはどうにもなりません。かといって、赤字を減らすために消費税を一気に上げれば日本経済は失速します。例えるなら、生活習慣病の人に、いきなりマラソンをさせるようなもの。運動は必要ですが、まずは運動ができる体をつくることが先決です。
 円安と財政出動、2つのエンジンを利用し続けることが難しいとなれば、低金利に頼るほかありません。01年以降の超低金利は投資を支え、不動産市場の活況をけん引してきました。金利水準は世界的にも比較的低い状況にありますが、それにしても現在のような超低金利をずっと続けていけるという保証はありません。
 円安も財政出動も超低金利も、いわば需要サイドから景気を刺激するエンジン。しかし、その持続性には大きな懸念がある。需要のエンジンに頼り続けていては、いずれ景気は失速してしまいます。

世界的好景気の背景に2つの要因

日本経済の今後を考える上で大きな鍵となるのが世界経済、とりわけ米国経済の行方です。成長率の高さでいえば中国やインドのほうが上ですが、中国のGDPは米国の6分の1。中国が10%成長するより、米国が年率3-4%で成長するほうがはるかにインパクトが大きい。現在の世界的好景気をけん引しているのは間違いなく米国です。その成長を支えているのはIT(情報技術)を中心とした技術革新、そしてグローバル化の進展です。米国の労働生産性は、95年を境に大幅に上昇しました。ITのバブルははじけたものの、それを機に機器や回線などが安くなり、技術革新が本格的に企業の利益に反映され始めた。しかも、中国やインドなどの新興国を巻き込みながらグローバルに成長している。これはバブルではなく、本物の成長です。
 米国の現在の経済成長に最も貢献している産業は、流通と金融です。理由は簡単。いずれもITとグローバル化の最大の受益者だからです。その好例が世界最大の小売業者、ウォルマート・ストアーズです。同社は2つの自社衛星を保有し、リアルタイムで物流を管理する世界最強の中間流通企業でもあります。売上高世界一の座をエクソンモービルと争い、中国からの輸入規模は1社単体で年間2兆円にものぼります。
 さまざまな問題を抱えつつも米国経済がなかなか失速しないのは、1つにはこうした供給サイドに成長のエンジンがあるから。日本経済を持続的な成長経路に乗せる鍵もここにあります。

公的サービスの民営化などに注目

現在の日本経済は円安・財政出動・超低金利という、いわば3つの麻薬に中毒しているような状態。持続的な成長を実現するには、規制緩和や制度改革など、供給サイドから経済成長を促す政策が必要です。
 供給サイドからのてこ入れで成功した事例は、すでにいくつかあります。例えば不動産の証券化・流動化をめぐるさまざまな規制緩和。近年、不動産投資が活性化しているのは、まさにその成果です。あるいはブロードバンドの普及。IT戦略会議を受けてアクセスルールを改革した効果です。
 できることは、まだまだたくさんあります。特に生産性が低いといわれている農業、医療、公的サービス、教育、交通、金融、住宅サービスなどには大きな可能性があります。こうした政策は地方の活性化を図る上でも、また、少子高齢化が進む中でどう活力を生み出していくかという産業ビジョンを構築する上でも非常に重要です。
 公的サービスの民営化も経済を活性化する手法の1つです。医療も、マーケットメカニズムが働く部分をもう少し増やせば大きな成長の可能性を持っています。食品・農業分野はバリューチェーンの上流と下流、つまり最も利益の厚い部分でどう付加価値をつけていくかが鍵となります。
 また、空の自由化も重要課題の1つ。これが進めば航空部門のみならず、観光部門や地方の活性化を大きく後押しできます。
 問題は山積していますが、ピンチはチャンスです。供給サイドから経済をどれくらいプッシュすることができるか、どこまで徹底してやり切れるか――。そこが日本経済の生命線。日本経済の今後を展望するためにも、こうした経済政策の動きや中身にぜひ注目してください。

講師紹介

伊藤元重

東京大学大学院教授

伊藤元重氏


1974年東京大学経済学部卒。ロチェスター大学大学院修了(Ph,D,)。専攻は国際経済学、流通論。96年に東京大学大学院経済学研究科教授に就任、現在に至る。2006年2月からNIRA(総合研究開発機構)理事長。近著に『日本の空を問う――なぜ世界から取り残されるのか』(共著・日本経済新聞出版社)、『日本経済の「いま」がわかる11のトレンド』(責任編集・講談社)など。

キーワード解説

■実質実効為替レート

円と他通貨との交換比率を総合した、平均的な為替レートが「実効為替レート」。世界的によく使われるのが、国際通貨基金(IMF)が18カ国通貨について発表しているMERM(多国間為替レート・モデル)による実効レート。「実質為替レート」とは、物価を加味した為替レート。この双方を合わせたのが実質実効為替レートとなる。

■プラザ合意

1985年9月22日にニューヨークのプラザホテルで開かれた五カ国蔵相会議(G5)でのドル高是正のための合意。これに基づき各国はドル売りの協調介入に乗り出し、1ドル=240円台が85年末には1ドル=200円まで一気に修正され、その後の円高・ドル安の基調を作った。

■労働生産性

単純には能率のこと。投下した労働量と、その結果として得られた生産量との割合。通常、労働量には生産に投下された延べ労働時間をとり、生産量は重量や長さなどをとるのが一般的。
協賛企業:
講座協力:東京21cクラブ